2012年04月30日

徳山のどーでもいい事

徳山、どちらかと言うとつまらない町である。
山すそから海に向かうなだらかな、そして狭い丘陵地。海は埋め立てられ工業地帯になっている。

大工業地帯、こんな風景ばかり。
画像 134.jpg


この徳山、江戸時代には小藩が置かれ、城下町を構成していたが今ではその面影も全くと言っていいほど無い。

僅かに往時の雰囲気を伝える寺町付近。
画像 138.jpg

鐘楼町の名、奇跡的に残ったか。
画像 143.jpg

文化会館となった舘跡に残る大阪城残石。
画像 142.jpg


沖合いに浮かぶ大津島には回天記念館もあるのだが、徳山港には立派な回天の実物大模型が置かれ、これを見ればわざわざ大津島に行かなくてもいいか?、なんて気持ちになっちゃうし。

徳山港にある回天
画像 124.jpg

徳山市民(周南市民?)にはお叱りを受けそうなのであるが、だいたい徳山の地名からしてつまらない。徳山とか徳島とかの地名は、戦国時代の終わり頃から江戸時代にかけて、エエカッコシーの殿様が、エエカッコに付けた地名なのである。岐阜とか仙台もそーじゃなかったかな?。
おそらくは、御用学者が考えたもので、地名としては歴史が浅いのである。


まあ徳山のつまらないところばかり言っている訳であるが、ちょっと意外な一面もあったりする。徳山市民(周南市民?)には全く当たり前の事なのであるが、実はこの徳山『ういろう』の有名どころだったりするのである。『ういろう』といえばてっきり名古屋の名産だと思っていたが、山口県『ういろう発祥地説』もあったりしてなかなかのものである。

ういろう


まあ、そう言ったところでたかが『ういろう』なのであるが、徳山銘菓のなかでひとつだけワタシの心を掴んでしまったものが・・・・・。

その名も

はえなわ君 !


ネーミングが素晴らしいのである、なぜなら徳山沖に浮かぶ小さな小さな粭島(すくもじま)は、ふぐの延縄漁発祥の地なのである。徳山と言えば『ふぐ』、しかし『ふぐ』は高価なので買いにくい、とお嘆きの貴兄にぴったりの銘菓ではないか。

(株)原要:原要うい郎、ふぐの街徳山はえなわ君

惚れ惚れするネーミングではないか!。早速購入すべしと意気込んだ訳であるが、(株)原要、すでに・・・・・

倒産!


原要本店、悲しい姿に。
画像 127.jpg   画像 147.jpg

諦め切れず、何処かで登録商標を受け継いで製造販売していないかと探してみるも、もはや幻の『はえなわ君』となってしまったようだ。

噂によれば、経営状態は悪くなかったものの、身内の借金でどーたらこーたら・・・・。身内の借金で『はえなわ君』が幻の銘菓になっちゃうなんて・・・・・。

何とか言えよ!、徳山市民!


まぼろしとなった『はえなわ君』、どーにもこーにも諦め切れんではないか!。
harayo_haenawa.jpg


徳山(周南市民?)のみなさん、ワタシまるっきりヨソモンなのですが、『はえなわ君』復活プロジェクト・・・・・、やっぱ無理か・・・。
 
posted by kinkouzan at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | どーでもいいこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月18日

三蟠

三蟠(さんばん)、三番でも三判でも三幡でもない、旭川下流の左岸に位置する。江戸時代に干拓された 『沖新田』 の一部分で、比較的新しく出来た土地である。沖新田の開発については、当時藩内でも賛否両論あって難航したそうだが、藩主池田綱政の強い要望で、家臣の津田永忠という人が強力に推し進めたそうな。

津田さんです、岡南大橋の東側に建ってる。
画像 136.jpg
まあ、殿様にしてみれば、海を干拓して、土地を広げて、お米を作れば

丸儲け!

だったのかも知れない。(個人的意見であって、郷土の英雄をヒボーチューショーするものでは有りません。)

三蟠の地名の由来については、三蟠村史によれば、この沖新田を開発した時の工区割り番号なのだそうである。沖新田東西之図を見ると、なるほど一番とか四番とか工区割りをしているのが解る。ただし、二番と八番が見当たらず、九番までとなっている。(一説によれば十番まであったらしい)

沖新田東西之図(部分)
okisinden.jpg

最初はちゃんと二番も在ったんだろうけど、後になって三番か一番に吸収されちゃったのかな?。江戸時代までは一番、三番、四番、等と呼ばれていたこの区域も、明治維新になって一番は江崎村・江並村と改称し、三番は藤崎村となった様だ。しかし程なくこの三村が合併し、今度は三蟠村となった。この時何故、『番』 ではなくて、『蟠』 の文字にしたのかは不明。そして時代は移り変わり昭和27年、,三蟠村は岡山市に編入され三蟠という地名は姿を消した様だ。現在では岡山市中区江並とか岡山市中区藤崎とかいうのが正式名称なのであろう。

現在の地形図には三蟠の文字は在りません。

enami.jpg


ワタシがお子様の頃は、この三蟠村・三蟠という地名が消失してから軽く20年くらい経っていた訳だが、旭川河口右岸に住む人達は誰でも対岸の事を、サンバン、サンバンと言っていた。

渡し船は 『サンバンに行く渡し船』 だったし
火力発電所は 『サンバンの発電所』 だったし
お年寄りの昔話は 『サンバンのケーバジョー』 だったし
新しい岡山港が出来る時も 『サンバンに新しい港ができるんじゃてー』 だった。


と言う訳で、変な話と言えばよいのか・・・・・。恥ずかしい話と言えば良いのか・・・・・。

三蟠という地名が正式には消滅している事を、ワタシは

本日、始めて知りました!

ワタシは、三蟠という地名が正式には消滅してから60年経って、やっとそれに気が付いたのである。そりゃまー、確かに何だか変だなとは思っていたんだけどさー。児島湾大橋に繋がるでっかい道路をバイパス2号線に向かって車で走ると、江並とか江崎とかの標識が信号機にくっついているしさ、それでも何となくサンバンの江並であって、サンバンの江崎なんだと思っていた。全然違っていたのですね。


さて、この三蟠(サンバン)、ワタシが子供の頃は一種独特の響き、イメージが有った。まるで異国の様な、あるいは行ってはいけない様な、あるいは危険な様な、あるいは素晴らしい様な、あるいは遠い様な、あるいは夢の様な・・・・。何とも妙な響きがする地名だったのである。何故そうだったのか。旭川の堤防に立って見る対岸はそう遠くない、しかしそこに行くには渡し舟に乗って旭川を渡らなければならない。子供にとっては近くて遠い、不思議な場所だったのかも知れない。当時は陸路で旭川の河口を行き来しようとするならば、5kmも上流にある桜橋まで遡らなければならなかった。まあ故に渡し舟といったビジネスが成り立っていたのだろうが。

岡南大橋も無かったし
画像 132.jpg

旭川大橋も無かった訳で
画像 131.jpg

400mしか離れていないサンバンは近くて遠い不思議の国だった。
画像 134.jpg

今は無き発電所も何やら廃墟の様な雰囲気で、ちょっぴり怖かった。


このサンバンも今ではすっかり市街化した様だ、それでも往時の姿を偲ばせる物が無いでもない。

岡南大橋から川沿いに下ると、廃線マニアの人達にはおなじみの三蟠鉄道、釣りエサ屋さんの隣に大きな看板が建っている。ちなみにこの釣りエサ屋さんの建物は、当時の駅舎だとか。

三蟠軽便鉄道の沿革 の大看板
画像 137.jpg  画像 138.jpg

裏手にはひっそりと鉄道起点の標識も
画像 139.jpg


さらにすぐ下流側には明治天皇上陸記念碑と三蟠港の跡の石碑。
画像 140.jpg   画像 120.jpg
昔ここに船着場があって、大いに賑わった。そんな事で明治天皇もここに上陸した訳ですな。


これも直ぐ近く、戦後間も無くの頃、短い期間存在した競馬場を語り継ぐ馬の慰霊碑。
画像 142.jpg


大きな道路を越えて、旧沖田村との境付近には、出ました!軍国遺産。
画像 160.jpg
この手の石碑はもしかして、皇紀二千六百年に集中して全国で建立されたのだろうか?。もしそうだったとしたら、全国の石屋さん、この年大儲け。プチバブル状態だったかもね。

この付近まで来ると、かなり住宅が立ち並んでいるものの、ところどころ水田地帯の面影が見える。
画像 161.jpg 画像 164.jpg 画像 165.jpg


新岡山港方面はどんなモンかと行ってみると、あちこちに 関係者以外立ち入り禁止 の看板が建っていて、どーも通行しづらいのだが、一応道が続いているので進んで見る事に。

いきなりワタシを威嚇する岡山県・岡山中央警察の看板
画像 143.jpg

めげずに進むがさらにワタシを威嚇する看板達。
画像 159.jpg  画像 144.jpg  

極めつけはこれ!
画像 145.jpg

はいかい行為禁止!

オレに言ってるのかよ!

ったく・・・・・。

しかしさらに進むととっても不思議な風景が・・・・・。なんと、あれだけ 『関係者以外立ち入り禁止』 の看板建てておいて、その先には信じられんくらいの立派な公園があるではないか!。どーゆー事?・・・・。

市民の森               バス停まで在るじゃん
画像 146.jpg  画像 148.jpg

『港湾関係者以外立ち入り禁止』 のドデカイ看板の先にある市民の森。この公園は港湾関係者の為の公園なのか?。

何とか言えよ!岡山県!

何とか言えよ!警察!

県と警察はこの公園の存在を隠しているのか?、おそらくそうなのであろう。その証拠にこんな立派な公園なのに、日曜日の本日、人っ子一人いない。

誰も利用しない超リッチな公園、どんだけ金掛けてんだか。
画像 150.jpg  画像 151.jpg

高島も間近に見える、どんだけ金掛けて作ったか解らない公園。本日出会ったのは彼?、彼女?一匹だけ・・・・・。

聖地、高島も拝めるけど      アナタの貸切状態ですな
画像 155.jpg   画像 149.jpg

公園内には猫しか居ないが、駐車場はいっぱい。こけーとめときゃー500円払ワンですもーが。

画像 153.jpg   画像 154.jpg

結局美味しいのは新岡山港を作った土建屋さんとか、これで天下り先を確保したお役人様とか、公園の維持管理する植木屋さんとか、小豆島に渡る人がただで車を駐車出来るってくらいの事か・・・・・。

※(個人的意見であって、オカミやドケン屋、ウエキ屋をヒボーチューショーするものではありあせん。)

立ち入り禁止看板の先に市民の森公園、やっぱり三蟠(サンバン)はワタシにとって、近くて遠い不思議の地域なのかも知れない。

だけど、だけど・・・。
画像 168.jpg

がんばれ!三蟠地名!
 
posted by kinkouzan at 15:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 地名 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月22日

両児山A

両児山、玉野市八浜町では超有名な山。快神社、八浜城址、公園、麓の古い町並みやお寺、等等・・・・・。

両児山、歌見方面より        両児山、波知方面より
画像 058.jpg   画像 075.jpg

麓にある骨董屋さん(資料館?)で、ただで手に入れたパンフレット?によると、児島湾の干拓以前、両児山の海岸は児島湾中のあらゆる漂流物が流れ着く場所だったらしい。

地形図を見るとなるほどそうだと思う。特に冬場の季節風が吹く時期は、両児山の西側海岸(パンフレットでは西浦と呼んでいる)は漂流物の溜まり場だっただろう。そういえば両児山の西側はなぜか急な断崖で、麓を取り巻く様に流れる天神川には大きな岩が転がっていたりするのだが、児島湾の干拓以前は冬になるとここは厳しい波濤が押し寄せる場所であって、故にこんな様相を今に伝えているのであろう。沖合いは船の難破も多く溺死者なども多数漂着したそうで、そんな事で昔はちょっとした心霊スポットだったらしいが、今はその西浦も干拓に因り消滅してしまった。

西浦、消滅。
画像 197.jpg


両児山のてっぺん(北側の方)にある快神社の由来にも大木の漂着伝説があるのだが、この両児山は海流とか季節風とかとは別に、何かが集まってくる場所なのかも知れない。色々な物がやって来ている様だ。


伝説によれば、八浜の宇枯木の鼻に大木が流れ着き、その中より音が聞こえる不思議から割ってみると、仙人のような翁が現れたちまち消えたと云う。この大木を祭ったのが快神社の由来であると。

快神社由緒
画像 017.jpg


個人的には、大崎八幡宮(渦の宮)の海中鳥居が流れ着いたのを、ここにお祭りしたのがもとになってこの様な伝説が生まれたと勝手に思っている。宇枯木の鼻という場所が何処なのかは解らないが、両児山の北端か西浦なのだろうとこれも勝手に思っている。

大崎八幡宮              大崎八幡宮由緒
画像 290.jpg   画像 288.jpg

わざわざ図書館まで行って、角川地名大辞典で『宇枯木の鼻』の小字名を調べてみた。八浜町大崎の小字名は載っているのに、八浜町八浜と八浜町波知の小字名は載っていなかった。

何故なんだよ、角川!

だがまーしかし、ここに小字名が記載されていたとしても、場所を特定出来る訳でもない。角川地名大辞典は小字名を列記してくれてはいるのだが、その位置まで解説するものでは無いのである。さて、ワタシの妄想が真実であったとするならば、この大木漂着は平安末期から鎌倉初期であろうか。おそらく記録に残る両児山への漂着物第1号。


次にやって来たのは西行法師、
仁平二年(1152)と仁安三年(1168)とあるので、もしかしたらこっちの方が第1号かも知れない。ただし記録では、『児島の八幡宮』とだけ書いてあるので必ずしもこの八浜の地とは限らない。後で述べるが、八浜八幡宮がこの両児山にやって来たのはこれより200年以上も後の応永年間の事。つまり辻褄が合わないのである。ほとんどガセっぽいけど、ご丁寧にも2箇所に石碑が建っている。何が何でも西行が此処にやって来たんだと言いたいらしい。

昔見し松は・・・の石碑    こちらの石碑は新しい
画像 059.jpg   画像 013.jpg

郡の弁天島にも小さな八幡宮があって、西行法師の歌の石碑が建っている。この神社も西行法師がここに来たんだとおっしゃっているらしいが、弁天島は締め切り堤防が出来るまでは文字通り小さな島であった訳で、ここに滞在したという話は少し無理がある。曽原の清田八幡宮も有力視されているが、八幡宮などはそれこそいっぱいある訳で、もう誰にも解らない事なのかも知れない。

弁天島の八幡宮           西行法師の歌碑
画像 006.jpg   画像 004.jpg


そして次にやって来たのは、なーんと高倉上皇!。
治承四年(1180年)との事なので海中鳥居漂着とほぼ同時期。
画像 019.jpg

『高倉院厳島御幸記』にある 『こじまのとまり』 は一説によれば八浜であるらしい。故にこんな石碑が建ってるのであろうが、まあこれもガセっぽいと言えばガセっぽい。似た様な話は他にも有るもので、年代や児島に至った経緯が史実と合わないのだが、北浦の箱崎八幡宮にも高倉天皇の伝説が残っている。だけど、史実と微妙に合わない箱崎八幡宮の伝説の方が、なにやらかえって歴史的真実を伝えている気がしないでもない。『こじまのとまり』については個人的には、藤戸海峡の入り口まで直線的に航路を採る為に、阿津か郡に停泊したと思っているが、海中鳥居のあった大崎八幡宮付近なども停泊地として面白いだろう。

箱崎八幡宮の石神様、高倉天皇がここでご休憩されたとか。
画像 011.jpg
こりゃいくらなんでもガセだろう。多分箱崎古墳の石室をパクッてる。


さて次にやって来たのは金剛寺と八幡宮、応永年間に元川の出雲谷から引っ越して来たとの事である。で、この出雲谷って何処なんだろうと探したけどはっきりしない。小字名はただ消え去るのみ・・・。 おかやま全県統合型GISでため池の名前やら防災情報やら、その他のサイトでもろもろ調べた結果、どーも 『出雲谷』 は現在の消防署の付近らしい(間違ってるかも知れません)。こう言った情報もしっかり説明の看板に書いて欲しいものだがどーなんだろ?。

なんとか言えよ、教育委員会!

八幡宮、元川の出雲谷からやって来た。
画像 016.jpg

現消防署から両児山まで直線距離で1km弱、この頃(室町時代?)に八浜の町が発展し始め、両児山の麓が政治経済の拠点となったのは解るのだが、こんなに近い引越し、あんまり意味が無い様な気が・・・・。そのままで良かったんじゃ?。


戦国時代になると戦国武将達がやって来る。
画像 063.jpg
両児山の南側山頂には砦が築かれた、今でも空掘りの遺構が良く残っている。八浜の合戦、宇喜多田与太郎基家の話は超有名。この時、当然北側の神社にも何らかの手が加えられたと思うのだが詳細は不明。


江戸時代にはたいした物は来なかったらしい、明治になると神社整理で波知の八幡宮から社殿がやって来て快神社の社殿になった。碁石からは林龍様(はやたつさま)もやって来た。よって碁石のカラス神事はこの世から姿を消す。

社殿を両児山に持って行かれちゃった波知の八幡神社
画像 073.jpg

両児山の中央には遥拝の文字が刻まれた石柱が建っている。その方向は波知の八幡宮だ、波知の人が昔の波知の八幡宮を偲んで建立したものか?、そうだとしたらその胸中やいかに。

遥拝の文字が刻まれた石柱
画像 022.jpg


碁石の山頂(岬)にある?、あった?林龍神社
画像 055.jpg  goisi.jpg
参堂入り口には昭和の年代が刻まれた注連柱が2箇所、明治時代になって快神社に合祀された後もこの地で信仰は続いていたのだ。

八浜八幡宮の鳥居、碁石氏子の胸中やいかに。
画像 020.jpg


両児山にはその他にも色々在ったりする。ブランコ、招魂社、元祖両児山公園等・・・・。

草ボーボーの元祖両児山公園   古池や蛙飛び込むの歌碑
画像 065.jpg    画像 064.jpg

元祖両児山公園の歌碑には何故か松尾芭蕉の句が刻んであり、こりゃそのうち松尾芭蕉がこの八浜へやって来たなんて言い出すんじゃなんて?、とバカな事を考えながら、

野鳥親水公園
画像 077.jpg

麓の手すりが腐り始めた野鳥親水公園で一服していると、何を思ったのかヌートリアが水音と共に湖面に飛び出して来た。あっそうそう、アナタも遠い異国からこの両児山にやって来たんだったよね。
 
posted by kinkouzan at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 山名 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月07日

四国フェリー社歌 解説

訪問者数はそうでもないのだが(1ヶ月に数人)、今でもちょくちょく 『四国フェリー 歌』 『四国フェリー 社歌』 などのキーワードで拙ブログに訪れてくださる人がいるので、知ったかぶりしてこの歌の解説をしてみようではないか。

♪ちゃちゃ〜ちゃんちゃん ♪ちゃちゃ〜ちゃん ♪ちゃちゃ〜ちゃちゃちゃ〜ちゃ〜 ♪ちゃ〜ちゃ〜 あー書くのがメンドクサイ、以下省略。


♪ちゃんちゃんちゃんちゃん 『か〜すむ や〜しまや だ〜んの〜う〜ら〜』

屋島は解りますよね、檀の浦は屋島東方の海域です。今でも 『壇ノ浦』 の地名が屋島東部に残っています。

♪『い〜なぎは す〜ぎて じぞ〜う〜ざき〜』

いなぎは稲木、現在の国土地理院の地形図では 『稲毛島』 となっていますが、古い地図や海図は 『稲木島』 となっています。屋島の北端から約5km北東にある小さな島です。いつから 『稲毛島』 になってしまったんでしょうか?、もしかしたら海図の方では今でも 『稲木島』 のまんまかもしれません(海図は高価なので買えません)。ここは聞き取りにくい部分なので 『南は澄みて』 等と紹介しているHPも有る様です。ちなみに屋島の西にある浅瀬 『稲木出し』 は屋島北端と稲木島が重なる位置にあるのでそう呼ばれるとの事。

『地蔵埼』は小豆島南端の岬、現在の国土地理院の地形図では 『釈迦ヶ鼻』となっています、これも何時変わってしまったんでしょうか?。『鼻』とは小さな岬の事で、西日本では普通に使われていますが東日本ではどうなのか知りません。

♪『ゆ〜く ゆ〜く こ〜べ〜ま〜る〜』

『神戸丸』 神戸⇔高松間で就航していた船、今では航路は廃止、神戸丸は韓国に売られちゃったとか。

♪『は〜りま〜の う〜みに』

播磨灘のことですな、ただしこれはどーなんでしょ?。見たこと無いので解りませんが、もしかしたら 『淡路の島に日が昇る』 が正解かもね。

周辺の古い観光地図
dan1.jpg


♪『に〜しきに か〜お〜る か〜んかけい〜』

寒霞渓は解ります、錦に薫る は、まあ抽象的表現と言うことで。

♪『あ〜かい ファン〜ネル〜』

船の煙突の事ですな、赤い煙突と言えばいい様なもんですが、そこは船乗りらしくカッコ良く 『ファンネル』と言った訳です。軍艦の煙突の上部をファンネルキャップとかファンネルカバーとか言ったりします。ちなみに防舷材(ゴムのクッション)は自動車のバンパーと同じく、フェンダーとかペンドルとか言ったりします。

♪『しょ〜どしま ま〜る〜』

船の名前、小豆島に行く船。

♪『た〜まもの し〜ろを』

高松城の事、別名玉藻城。てかどっちが本名なのか不明。古い地図は玉藻城と書いてあるパターンが多い様ですが。

♪『お〜ぎ め〜ぎ ほ〜づち〜ばな〜』

男木島、女木島、帆槌ノ鼻の事。帆槌ノ鼻は女木島の最南端、国土地理院の地形図にも記載されています。

♪『び〜さんの う〜みに』

瀬戸内周辺に住んでいる人なら説明も要りませんが、吉備の国(現岡山県・現広島県)と讃岐の国(現香川県)にある海の事です。 

♪『し〜らなみ ほ〜える し〜け〜のひも〜』

シケ→時化、お天気が悪くて海が荒れてる状況です。大シケなどと言います。

♪『す〜すむ わ〜れらが し〜こくフェリ〜』

だからシケの日は運休してくださいって、さっき ♪『ま〜もれ あん〜ぜん』 って言ってたのにー。船酔いが苦手なお客さんだっているんだから。


最後に同じ物をもう一度貼っておきます。

dan1.jpg
 
posted by kinkouzan at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月27日

綱掛石神社

暑さから外をほっつき歩くのが面倒で和船の模型作りをしていたのだが、まだ完成しないうちに今度は寒さから外をほっつき歩くのが面倒な季節になってしまった。それでもたまにはブラブラしてみたいもので、地図やらサイトやら眺めて何処か面白そうな所は無いかな?と思っていたら『綱掛石神社』を発見した。岡山県神社庁のHPによれば、山頂に環状列石のイワクラが有り児島湾の高島が望めると言う。

まずは車で近くの安仁神社へ、此処へ駐車して徒歩で行ってみようと言う魂胆。ただ、単に車を置いておくだけと言う訳にもいかず、安仁神社へもお参りする。

安仁神社、二番目の鳥居      参道と門
画像 079.jpg   画像 080.jpg

参道には砂利が敷き詰められて、ほうき目が美しく文様を描く様に敷き均されている。貧乏性のワタシはついつい遠慮して、ほうき目を乱さない様に端っこの土の部分を歩いてしまう。ああ情けなや、だけどなんだか気を使っちゃうじゃん。

何とか言えよ、安仁神社!。

この安仁神社、なんでも大明神社とか言う大層格式のある神社らしく、拝殿も本殿もかなり立派な物である。以前は備前一宮を主張していたらしいが、世間からは認められなかったのか今では『備前国総鎮守』を売りにしているみたいだ。一宮として認められなかったのがよっぽど悔しかったんだろーな。

拝殿                   本殿
画像 081.jpg   画像 082.jpg

そう言う事なので、いつもは1円玉しか賽銭箱に入れないこのワタシ、奮発して5円玉を投げ込んで神妙に礼拝する。


綱掛石神社に向かうには安仁神社の駐車場から山沿いに狭い道を東へ進む。途中、地神様やら石の道標やら。せきかみ宮への道しるべだ、このせきかみ宮も一時は大いに賑わったのだろう。

地神様と道しるべ
画像 083.jpg


直ぐ隣にもせきかみ宮への道標が建っている、こんな近くに同じ物が建っているのは不自然なのでどちらかは移設したんだろうか。地神様と半鐘がここにあると言う事は、この付近が集落の中心地なのか。少し前に鉄スクラップの価格が上昇した時は、半鐘も難に遭う事が多かったと記憶するが、この集落の半鐘は健在。安仁神社のご加護かもね。

直ぐ隣にも道しるべと半鐘。    健在の半鐘。
画像 084.jpg   画像 085.jpg

半鐘からせきかみ宮へ向かうと直ぐに分岐、ここは右に。

出た〜!、軍国遺産。
画像 086.jpg

国威宣揚の石碑を右に見て南下、5分程も歩けば意味不明の石碑とせきかみ宮。ここに来る前に安仁神社が有る山の方に小さな祠が見えたので一応お参りしておいた、後で調べたら保食神社(ウケモチジンジャ)の様だ。写真も撮っておいたのだがブレブレで使えない。

せきかみ宮、ここもお参りして綱掛石神社へ。
画像 090.jpg

せきかみ宮の横に有る意味不明の石碑、ひさご池と読むのだろうか?。
画像 106.jpg


さらに進むと程無く石灯篭のある分岐、ここから道が解らなくなってしまった。辺りをウロウロ歩き回る、結構歩き回ったので完全に不審者だ。110番通報が怖い、こりゃいかんと付近の人がいれば、綱掛石神社の在りかを聞こうとするのだが、だ〜れも居ない。お昼時なので多分みんな家の中に引きこもっているのだ。いや〜こりゃ参った、案内標識くらい建っているんだろうと思っていたが甘かった。

石灯篭の有る三叉路
画像 104.jpg


それでも何とか、と言うよりも全く偶然と言った方が良い感じで標識を発見。

偶然見つけた標識
画像 092.jpg

偉いぞ、地元住民!

いやー、これが無かったら完全にギブアップだった。だけどこの標識って、多分知ってる人じゃないと知らない場所に有る、地元住民の皆さん、たまには他所からも人が来ますんで、そこんとこヨロシク。

で、この標識に従って進む。なーんと直ぐに分岐、右に進むと元の石灯篭方面に戻ってしまうのは解るのだが、真っ直ぐ進むのやら左に進むのやら?。

ガーン!又もや分岐。
画像 103.jpg


どっちへ行ったら良いのかワカランままに、もうヤケクソで真っ直ぐ進む、かなりの急坂である。サンダル履きで来たのが大失敗、何度も諦めそうになったが意地になって登って行くとそれらしい灯篭が見えてきた。ヤレヤレどうやら間違って無かったと思いつつさらに進むと鳥居も見えて来た。

ヤケクソで真っ直ぐ進むとこんな道。
画像 102.jpg

灯篭と鳥居、かなりの急坂なのだが写真で解るだろうか。
画像 101.jpg   画像 099.jpg


そしてついに綱掛石神社に到着、社殿の額は最早文字が消えていて読めない。なんとなく荒廃した雰囲気だ、今では訪れる人も少ないのであろう。ヨソモンの場合は来たくっても道が解らんから来れないし。まあそれでも賽銭箱も置いてあることだし1円玉を投げ入れて礼拝。

綱掛石神社、背後は巨岩。
画像 098.jpg

此処からわき道を登って上の方に行く。屹立した岩とおふどう様、この尖がった岩がおそらく綱掛石なのだろう。横には小さなプレハブ小屋があって、此処でおふどう様のお参りをするのだろう。入り口には鍵が掛かっていなかったので、誰でも中に入ってお参り出来る様になっているらしい。お菓子などがお供えしてある。

綱掛石?とおふどう様。
画像 097.jpg


此処からさらに上に行く道があって、少し登るとそこには例の環状列石らしい岩が鎮座する。見た感じでは人工的に見えるがどうだろう。どっちにしても如何にも古代祭祀遺構といった雰囲気。中央にやや大きめの岩が立ち、それを取り囲む様に小さめの岩が配置されている。
遠い遠いその昔、このイワクラ(イワサカ?)で何かしらのお祭りが行われ、その記憶が綱掛石神社であると言う事なのであろうか。

環状列石?。
画像 094.jpg

岡山県神社庁のHPでは此処から高島が望めると書いてあるが、高島方面は木が茂っており視界は全くのゼロ。かなり残念、まあ少し前までは木もまばらで、児島湾方面が良く見えたのであろう。北から東にかけてはやや見晴らしが効く。この綱掛石神社、訪れたい人は地図をよ〜く確認してから来てね、それと足元ちゃんとしとかないと坂道で苦労しますよ。
 

 
 
posted by kinkouzan at 11:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする